コラム

今月のコラム

2012年 7月号

歯科医院経営を考える(418)
~上司の覚悟~

デンタル・マネジメント
コンサルティング

稲岡 勲

 先日、広島市で「美しい日本の歌を伝えたい」という演題で「由紀さおり」さんの講演を聞く機会があった。3年ほど前から幼稚園を訪れて歌の指導や講演をしているという。それは日本語の美しい歌が忘れ去られていくことが悲しいから、若い人にも伝えたいと思い立ったということだった。サトウハチロウの作詞「誰かさんが 誰かさんが誰かさんがみつけた。ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 見つけた。…」というこの童謡の「ちいさい秋」というのはどのような意味か?これは大きい秋ではなく、小さい秋、つまり「秋の気配」を感じて歌っているのだという。子供たちにこうした情景をも伝えて歌の指導をしているそうである。また「夕焼け小焼けで日が暮れて…」という「が」を鼻濁音で歌うから情感溢れる光景が目に浮かんでくる。

 

最近流行歌手でも、鼻濁音の「が」が発音できない歌手が増えているという。日本語では「胡麻豆腐」「銀世界」と言う鼻濁音が「語頭」にあるときは閉鼻状態で発音するが、「銀河」「道具」「名残り惜しい」という場合のように、語中、語尾にある時は開鼻状態で発音する。しかし今や鼻濁音は死音になっている。流行歌の女王といわれた美空ひばりの歌の魅力は鼻濁音の美しさにあると思う。「りんご追分」「悲しい酒」「越後獅子の歌」等はその典型だと思う。年齢の高い谷村新司のような高齢の歌手でもこの鼻濁音で歌っていない。さだまさしは長崎県出身だが、きちんと鼻濁音で歌っている。どうも関西出身の歌手は比較的この発音ができない歌手が多いと思う。最近はジャズやロック等の西洋音楽が多くなったせいか日本古来の感性が失われつつあるようで残念である。

 

筆者宅に1週間に何日か孫(小六女、小三男)の二人が書道教室に通うためにやってくるが、せっかく書道という日本字を習うのだから、挨拶や返事をしっかりできるように、しつけも学んでほしいと思い実践していることがある。それは「おはよう」「こんにちわ」等のあいさつと履物を揃えることである。「履物を揃えなさい」とは一切言わない。ただ脱ぎ散らかした履物を、気が付いた時にこちらが黙ってせっせと揃えるだけなのである。3か月くらい続けると孫たちも時々揃えるようになった。挨拶も私の書斎に入ってきて挨拶をするようになった。ところが大人の親の方がダメなのである。苦言を呈した時は揃えるが、すぐ忘れてしまう。感性豊かな孫のためにもこれだけは徹底して実践して範を垂れたいと思う。ある医院でも院長が便所掃除をしている院長がいる。半年続けて初めてスタッフが掃除をしてくれるようになったそうである。ただこの院長の場合は自己修行の一環として実践しているのだが、人は以心伝心、部下特に若い部下は上司の無言の背中を見て育つのではないか。上司にはそれだけの覚悟がいるということだ。

 

(つづく)

 

〔タマヰニュース2012年 7月号より転載〕